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自分の感受性くらい [コラム~アートで心豊かな生活を]

カフェ・ギャラリーと言うのは面白いもので、全くアートを見ることを目的とせずご来店くださるお客さまが大半ですが、その中に壁面に飾られるアートから話が弾むこと、と言うのが良くあります。

先日もフラッとお立ち寄り下さったご近所のお客さまから「良い絵とは」と言うお話を伺いました。
恐らく絵画やアート全般に造詣の深いお方なのでしょう、フランスの詩人、美術評論家のシャルル・ボードレールの言葉を教えていただきました。

「良い絵とは、その前にしばし立って作家のポエジーを感じられるもの」(シャルル・ボードレール)

ポエジー=poesy(ボードレールはフランス人なので poésie の方がしっくりくるでしょうか)とは、「詩」のこと。
詩人ならではの言葉なのでしょう・・・その絵から「詩」を感じられるかどうか?

詩を感じるかどうか?は観た人に依存します。感覚・感性の問題なのでそれを感じるか?どう感じたか?は「私」にしか分かりません。

以前このコラムでも書いたことがありますが、個人的には
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作品は、創る人と観る人との共同作業で完成に至るもの。
創る人が作品に込めた思いと、作品を観た人が意識下であれ無意識下であれ自分の中にある何かと重ね合わせた結果、この二者の間にしか存在し得ない完成の形がある、と思います。
そしてそれは、「ほんもの」を直接目の前にした時にのみ到達する完成の形であり、印刷物や電波などの媒体を通した時には掴みきれない、両者の間に流れる空気というか波動というかが大きく影響するのだろう。
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と思っています。

ボードレールは別に
「他人の感受性を軽蔑してはいけない。感受性はその人の才能なのだ。」
と言う言葉も残しているそうです。

女流詩人、茨木のり子の詩にも
「自分の感受性くらい」
と言う作品があります。

” ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにするな ” にはじまり
(省略)
" 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ " で締めくくられる詩。

私はこれらの言葉に深く共感します。
「良い絵」とはこれに尽きるのではないか、と思うのです。

【私】がポエジーを感じるかどうか。
それは、
【私】の感受性を【私】がしっかり感じているか。

先日とある電話がありました。
女性からで、

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昔絵が大好きで色々買い集めていたけれど、家庭の事情により全て手放さなければならなかった。
最近また絵を見る余裕が出てきたのでギャラリーをまわっていたらある絵に出会い、強く惹かれてしまった。その絵を買う為に何度もそのギャラリーに足を運びやっと手に入れたけれど、作家名が分からない。
絵に付いたサインや画風からインターネットで検索し、ようやくたどり着いたのがこちらの店だった。
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と少し興奮した口調で一気にお話になりました。
どうもその絵が当店で毎年作品展を開催される作家のものではないか、と。

その作家は、長きに渡り画家として活動を続けてこられたベテランで数々の素晴らしい作品を生み出されています。しかし、歴史的に有名でもなく、テレビや雑誌に取り上げられるような売れっ子作家でもありません。

有名・無名・人気の有無、そんなことは関係なく、その女性は「作品に魅せられ」、追いかけて追いかけてついに探し当てたのです。

これこそ、「自分の感受性」を守った、と言えるのではないでしょうか。
これこそ、この方にとっての「良い絵」と言えるのではないでしょうか。

自分の感受性を守るには、自分と向き合う時間が不可欠。
こんなことを考えられるようになったのも、約10年間毎日毎日アートと向き合ってこられたから、でしょうか・・・。

歴史的に著名な作品を美術館で観るのも素晴らしいことと思いますが、そこで1枚の絵と対峙するのは特に日本の美術館では残念ながらなかなか難しい。
ゆっくりと「自分の感受性」と向き合う・・・そんな時間を取るには、ゆっくりご覧いただけるギャラリーはオススメだと思います。

冒頭のお客さまからこの話題を引き出してくれた
『Midori K Luck展 5月のアンダルシアにて』
は、本日が最終日です。17:00までご覧頂けます。
DSCN8600.JPG


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